伝統、歴史、そして自然のインスピレーションを器に。

季節折々の野の草花をスケッチして、その絵から器に合った図柄を作成します。
次に決定したその図柄を薄い和紙(仲立紙)に写し、今度はそれを用いて器に同じ図柄を写します。


次に最初の決定した図柄に基づいて和紙を様々な葉の形に切り、
既に器に写された図柄の上に切った葉の形の和紙を置き、その上から濃筆(だみふで)を用いて
写真のように絵の具を染み込ませていきます。
その後乾いたら和紙は取り除き面相筆で葉脈などを描いていきます。


和紙染用の絵の具は、鬼板といわれる鉄を含んだ石を粉砕して沈殿させ
上澄みの微粒子を使います。
線描き用の絵の具は、日の隈近辺の出水に含まれる赤ソブというコロイド状の鉄分を採取乾燥後、
素焼きした後に粉砕したものを使用します。


和紙染の特徴は草花の様々な形の葉が、和紙を通して染められるので、
柔らかく濃淡が表現でき、野の草花が持つ独特の表情や雰囲気を
細かく表す事ができる点だと思います。

白化粧された淡い象牙色の生地と和紙染された濃淡のある茶系の草花が
落ち着いた調和を醸し出しています。


七百年ほど前の弘安四年夏、再度の元寇の役に際して勲功を得た鎌倉府の御家人
「河野通有」が知行地肥前尾崎の荘で、捕囚とした蒙古人に製陶の技法を伝えさせたのが
「尾崎焼」の源と言われています。


また、近世の初頭、唐津名護屋城に布陣した太閤秀吉公から、「無類の土器師」と
激賞の御朱印を賜った家永彦三郎の弟長右エ門右京が尾崎の荘に居住して以来、
「尾崎焼」焼成の技術は一段と進展を見せ、古い趣と温かい独特の肌合いを持った
「尾崎焼」の基礎が確立しました。


由来、その歴史に育まれた陶芸の伝統を保ちながら、茶器や鉢物等、素朴な味わいを持った
民用の諸器物が作られて広く県民の暮らしの中で愛され親しまれてまいりました。
民窯「尾崎焼 日の隈窯」はこうした尾崎焼創始期の源を探り求め、
ふるさと尾崎の地で生み出された古陶の持つ素朴さと詫びの心を再現すべく、
秀峰日の隈山麓に開窯し今日に至っています。


現在、伝統的な尾崎焼の窯である空窯を復元して復興を図ると共に、現代に合う新しい器として
「尾崎焼」の花器や香炉や文具なども試みています。
同時に古来の手焙り火鉢や、茶道具も制作し、多くの方に実際に生活の中で愛用していただけるように、
日々努力しています。
作り方は田土を使って成形した後、生乾きの際に椿の葉などで表面を磨いて艶を出します。
乾燥後焼成した後に、さらに薪を投入して燻し、表面を黒く炭化させる事によって
黒い艶のある「尾崎焼」が出来上がります。





© 2017 日の隈窯